2021年


ーーーー7/6−−−− フェリシダージ


 
昨年6月、母の看取りで東京四谷の姉のアパートに滞在した。ある日の午後、姉が一枚のCDをかけた。オータさんというハワイ在住のウクレレ奏者によるボザノバのアルバムである。その最初曲を聴いて、懐かしさのあまり心が震えるようだった。「フェリシダージ」という名の曲である。映画「黒いオルフェ」の中で使われている曲で、ボサノバの巨匠アントニオ・カルロス・ジョビンの作曲による。

 「黒いオルフェ」は、子供のころからテレビ放映で何度となく観た。強烈な、そして謎めいた映画である。リオのカーニバルを舞台にした映画なので、全編にサンバが溢れている。そしてこの映画のために作られたボサノバの挿入曲がいくつかあり、そのうちの一つがこの「フェリシダージ」である。官能的なメロディー、複雑なハーモニー、そしてポルトガル語のけだるいような響きが、なんとも言えないエキゾチックな印象を与え、一度聴いたら耳に残って忘れられなかった。

 「フェリシダージ(felicidade)」という単語は、ポルトガル語で「幸せ」を意味する。曲は、「悲しみには終わりがなく、幸せには終わりがある」という印象的な歌詞で始まる。一年間の稼ぎを、たった数日間のカーニバルに注ぎこむ、貧しい労働者たちの心情と、恋の幸せのはかなさを重ね合わせた曲である。

 オータさんの演奏を聴いて、チャランゴで演奏してみたいと思った。CDを購入して、繰り返し何度も聴いたが、メロディーがなかなか取れない。屈折した思いを表現する、ややこしいメロディーなのである。

 ところで、作曲者アントニオ・カルロス・ジョビンについて、日本のあるミュージシャンが、ラジオ番組で思い出のエピソードを語っていた。現地のレストランで、彼に会ったことがあるというのである。大御所様は、取り巻き連中と数人の美女に囲まれて店に入り、昼間から大酒を飲んで騒いでいたとのことであった。




ーーー7/13−−− 相撲が面白い


 
以前はあまり関心が無かった大相撲を、最近よく観るようになった。相撲の面白さに目覚めたと言えば大袈裟だろうか。

 格闘技の中で、ずば抜けて面白いものだと思う。まず分かり易い。同じように組み合う格闘技に、レスリングや柔道があるが、試合展開が分かり難い。当人たちは一生懸命だが、素人の目には何をやっているのか分からない。その点相撲は、単純明快である。ボクシングも単純だが、手が使えないので技の変化に乏しい。相撲は手も使えば足も使う。決まり手は70ほどあるらしい。

 勝敗が短時間で決するのも面白い。データを見ると、大体は10秒以内、長くても20秒以内に決するようである。試合時間が長くてうんざりすることは、まず無い。

 コスチュームも、ずば抜けてユニークである。ふんどしと言えば、下着である。しかも肌の露出が多く、ほとんど裸である。以前ヨーロッパ巡業をしたときに、ふんどし姿が嘲笑され、ポスターに悪戯書きをされたそうである。そんな裸同然でぶつかり合うところが、逆にスマートである。

 そして、チョンマゲ。全ての選手に同一の髪型が指定されている競技は、他に無い。

 ほとんどのお相撲さんは、丸々と太っている。日常生活に支障があるのではないかと思われるほど太っている人も多い。そのような、コミカルとも言える体形の人たちが、熾烈な戦いを展開する。そのギャップが面白い。投げ飛ばされ、弾むようにして土俵下に転落する有様は、当人は痛いだろうが、見ていて滑稽である。滑稽な要素を持っている格闘技は、他に無いだろう。

 土俵が丸いというのも、面白い。もし土俵が四角だったら、なんだかギスギスした雰囲気になるだろう。勝負の場でありながら、丸くなっているのが、大らかで良い。俵が盛り上がっていて、足が掛かると言うのも良く出来ている。足が掛かれば踏ん張れるから、より見せ場が盛り上がる。徳俵などというものが付いているのも、オチャメである。

 15日間という開催期間も絶妙だ。日曜日に始まって日曜日に終わるのが、興業上のポイントだろうが、一週間少なければ8日間、一週間多ければ22日間となる。日数が偶数では、白星と黒星が並ぶ場合もありうるわけで、しまらない。




ーーー7/20−−− 網戸のネットを交換


 
自宅の網戸のネットは、方々で傷んでいるが、交換したことはこれまで一度も無かった。建てて以来だから、かれこれ30年と言うことになる。考えてみれば大した手抜きだが、こういう放ったらかしは、我が家では特に珍しい事では無い。

 部屋によって、網戸のネットの傷み方にずいぶん差がある。頻繁に出入りをする居室の掃き出し窓が、一番傷んでいる。出入りをする際に、ネットに触れてしまう事が多いからか。南向きなので、紫外線でやられているということもあるだろう。ちなみに、北側で陽が当たらない窓は、明らかにネットの傷みが少ない。

 この掃き出し窓のネットは、あちらこちらで破れている。それを透明の粘着テープで補修してしのいできた。しかしそれも限界になり、破れ目から蚊が入ってくるようになったとカミさんが言った。だから、ネットを交換してくれと。この話は昨年までもちょいちょい出ていたのだが、一つの障害が想定された。この窓はサイズ(巾)が大きいので、市販のネットは張れないのではないかという懸念である。

 この家は、メンテナンスに難を感じる部分がいくつかある。例えば雨樋。四角形断面なので、ホームセンターで売っているものと互換性が無い。とても不便である。建築当初の見映えよりも、長年に渡るメンテナンスに重点を置くのが正しい設計思想だと、この樋を見るたびに思う。雪が降る地域では、雨樋は傷み易いのである。

 と言う具合に、厄介な部分がある家なので、網戸の張り替えに関してもネガティブな印象を抱いていた。サイズが大きいと言っても、市販のサッシの窓だから、適用できるネットが無いはずはない。冷静に考えればそうなのだが、商品を調べるのも面倒に感じ、取り掛かれなかった。

 ところが先日、ホームセンターへ行ったついでに、網戸のコーナーを覗いてみたら、巾が広いネットも有った。通常のネットは91センチ巾だが、145センチというものも売られていたのである。例の窓の巾は120センチほどであるから、それなら使える。ただし値段は4倍くらいする。世の中のニーズが少なく、流通量が少ないのだろう。

 さて、費用の面では目をつぶるとして、ネット張り替えの目途は立った。いざネットを買おうとしたとき、以前知り合いの人がSNSで発信していた記事を思い出した。網戸のネットは、グレーと黒色の二種類あるが、黒色の方が屋外の景色がクリヤーに見える、というのである。そこで、黒いネットを購入した。

 自宅に戻り、早速張り替えをした。外した古いネットは、風化していて、作業をする手が白くなった。張り替えた網戸を窓に入れたら、確かに外の景色がはっきりと見えた。まるで網戸の存在が感じられないようだった。このように透明感があれば、真夏の暑苦しさも軽減されるのではないかと思った。

 黒いネットの快適さに気を良くして、家中の網戸を張り替えた。他の部屋の網戸は、ほとんどが標準サイズであり、巾91センチのネットで間に合う。どの窓も景色がクリヤーになり、とても気分が良くなった。

 わずかな労力でこんなに快適になるなら、なんでもっと早くやらなかったのかと悔やまれたが、この手の後悔も、我が家では特に珍しい事では無い。




ーーー7/27−−−  猿が侵入?


 
ほんの数日前のことである。夕方工房で仕事をしていたら、カミさんがやってきて、「西の居室の掃き出し窓の網戸が40センチくらい開いてるけど、あなたが開けたの?」と言った。わたしは身に覚えが無いと答えた。

 夕食後に、今度はアーモンドを入れたタッパー(食品収納容器)が無いと騒ぎ出した。そのタッパーは、いつも食卓の上に置いてあり、他の場所に移動することは無い。時折食後にアーモンドを食べるのが、習慣のようになっている。この時も、食べようとしたら、定位置に無いことに気が付いたという。

 二年ほど前から、自宅の周辺に猿が出没するようになった。以前は山の方にいた猿が、だんだん里に下りてきたのである。猿どもは、畑に入り込んで野菜を食べ散らす。カボチャを両脇に抱えた猿が走り去るのを目撃した人もいる。また住宅に侵入して、食べ物を盗む事例も発生している。ドアは開けないようだが、引き戸なら開けて侵入するのである。

 我が家の家庭菜園も、昨年まで被害にあった。トマト、枝豆、カボチャ、柿など、何種類かの作物がやられた。そして今年は、ちょうど収穫時期に近づいた枝豆がまずやられた。冒頭に述べた事件の前日である。食事をとる部屋の目の前に植えられている枝豆を、昼から夕方にかけた時間帯に襲ったというのだから、大胆な犯行である。猿を目撃したわけではないが、日に何度も菜園内を巡回しているカミさんが、現場の被害状況を確認したのだから、間違いないだろう。

 そういう経緯があるので、カミさんは猿の害に対して神経質になっている。今回の事件に関しても、猿が網戸を開けて侵入し、アーモンドを盗んで行ったというのが、カミさんの推理である。犯行推定時刻は午後2時頃。私が昼寝をしている隣の部屋の網戸を開け、開いているドアを通って食堂まで入り、食卓の上のアーモンドを見付けたが、タッパーの開け方が分からなかったので、とりあえずそのまま持って逃げた、というストーリー。

 確かに二つの出来事は、自然に発生するとは考えにくい。猿の仕業だと見れば、一つに繋がる気もする。しかし、本当にそうだろうかという気持ちもある。猿は家の中に侵入すると、片っ端から物色してひどく散らかすという話を聞いたことがある。今回は、そのような気配は全く無い。また、人が昼寝をしている隣の部屋に、猿が入るだろうか、という疑問もある。野生動物は、人よりはるかに気配に敏感なはずだからである。

 ともあれ、猿が網戸をスーっと開け、部屋の中を行進し、食卓に這い上がり、タッパーを手に取り、来たルートを戻って網戸から出て行ったというシーンを想像すると、なんだか不気味ではある。

 ところで、この記事を書いている間に、新たな情報が入った。お向かいのお宅に猿が入ったと言うのである。おばさんが外の作業を終えて家の中に入ると、階段の下に猿がいて、ナスをかじっていた。「こらっ」と怒鳴り付けたら、慌てる様子も無く階段を上がり、二階の窓から出て行ったと。その窓の網戸を開けて侵入したようだった。家の中にはおじさんが昼寝をしていたが、気にせず猿は家の中を歩いていたもよう。室内には、他に荒らされた跡は無かったそうである。

 その話を聞くと、我が家の事件も猿に違いないと思えてきた。